ラッセ・ハルストレ Lasse Hallström について
ときに、映画という興行は、夢を見せてくれたり、圧倒的に届かないと思われる世界があることを見せつけたり、だから、諦めろと言い放ったりするものもある。なかには、楽しんでくれたかい?と脅された思い出もある。
しかし、ラッセ・ハルストレムの作品は、映画が大掛かりな総合芸術であることをうれしく思えるのだ。彼の作品はどれも、興行目的から離れた伝えるもの、残すものがある。現代社会が複雑なのは、僕もあなたも皆、金を払って説教されなくても当たり前のように、百も承知だ。
だから映画を観る人は、その解決策を探しにくるのだ。それぞれの地域で、それぞれの階層で、それぞれの民族で、それぞれの信仰で、それぞれの歴史で、真実かあるいはその類いに、できるだけ自分が近づける道を探しているのだ。
彼の作品は単なる問題提起で終わらない。 今まで、僕が観てきた彼の作品「マイライフ・アズ・ア・ドッグ (1985)」、「ギルバート・グレイプ (1993)」や「サイダーハウス・ルール (1999)」、「シッピング・ニュース (2001)」の主人公は、いずれも共通して、孤児であったり、問題のある両親に生まれている。彼には、理想とする大人や模範となる人間がいない。 それ故か、社会人としての第一歩では、当たり障りの無い静かで、出世欲も無い人格となる。
しかし、「観察し、分析し、努力する」ことを繰り返す生き方が、やがて帰着点を見付けることになる。これが、いたずらに相手のプライドを傷つける行為や、目の前の問題をただ強行突破することばかりを考えていた僕に振り返る機会を与えてくれた。
ラッセ・ハルストレムの作品は、今はまだ、変えようも無い状況に置かれていても、たとえ、目標が定まっていなくても、「観察し、分析し、努力する」を繰り返せば、いつの日にか帰着点に出会えることを教えてくれた。うれしい。on 08dec2002
- 1946年6月2日生まれ
- 「カサノバ 」Casanova (2005)
- 「シッピング・ニュース」(2001)監督
- 「ショコラ」(2000)監督
- 「サイダーハウス・ルール」(1999)監督
- 「愛に迷った時」 (1995)監督
- 「ギルバート・グレイプ」(1993)監督/製作総指揮
- 「ワンス・アラウンド」(1990)監督
- 「やかまし村の子どもたち」(1986)監督
- 「やかまし村の春・夏・秋・冬」(1986)監督
- 「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」(1985)監督/脚本
- 「アバ/ザ・ムービー」(1977)監督
フランシス・ヴェベール Francis Veberについて
- 1937年07月28日生まれ
- 「メルシィ!人生」(2000)監督/脚本
- 「奇人たちの晩餐会」(1998)監督/脚本, セザール賞脚本賞
- 「バードケージ」(1996)オリジナル脚本
- 「ジャガー」(1996)監督
- 「恋人はパパ/ひと夏の恋」(1993) 脚本
- 「マシュー・ブロデリックの 緊・急・事・態」(1992)監督
- 「3人の逃亡者」(1988)監督/脚本
- 「3人の逃亡者/銀行ギャングは天使を連れて」(1986)監督/脚本
- 「赤い靴をはいた男の子」(1985)原案
- 「パートナーズ 」(1982)脚本
- 「Mr.レディMr.マダム2」(1980)原案/脚本
- 「サンデー・ラバーズ」(1980)脚本
- 「Mr.レディMr.マダム」(1978)脚本
- 「さよなら警察官」(1975)脚本
- 「おかしなおかしな大冒険」(1973)脚本
- 「殺し屋とセールスマン」 (1973)脚本