5/26(水)グラナダ→コルドバ
アンモニア・スニーカーの主

さあ、今日はアルハンブラ宮殿の見物だ。そして海辺の街マラガに行ってみようかな・・・。太陽が降り注ぐ明るいアンダルシアのリゾートの海を眺めてのんびりするのもいいね。昨夜は寝づらかった。安宿のベッドが少し不潔だったことと、隣の部屋から漏れ出るのスニーカー臭がやはり気になった。まずは早めにチェックアウトしようと身支度をして部屋を出る。と、そこには図体の大きなアメリカ人青年がいた。馬場もびっくりするぐらいでっかいハイテク・スニーカーを履いている。ホテホテに汚れたそのスニーカーからは明らかに強い異臭が。アンモニアにも似た刺激性の臭いであり、目をやられそうである。こ、こいつが臭いの主だったのかあ!しかし、彼は気さくに、「やあ、おはよう!」と爽やかな笑顔で挨拶してくれる。宿の主人は、チェックアウトの手続きにバタバタしている。と言ってもチェックアウトするのはスニーカー君だけだが。私の姿を見て「君も出発?どひゃ〜、ハイハイ待っててね」と慌てて階上に登っては下り、「ああッ、カレの方のパスポートを忘れちゃった!」と自分の薄毛のひたいをペーンと叩いて、ふたたびバタバタ階段を上っていった。スニーカー君は「えへへ、彼パニック起しちゃってるネ・・・」とニコニコしていた。私が日本人であると知った彼はやたら「クール!かっこいいね〜」と連発していた。チェックアウトを済ませた彼は「じゃあね、いい旅を!」とスニーカーをバフンバフンいわせながら出ていった。通りで猫がギャッと叫んで逃げた。いい人なんだけどなー。だけど、ユースやクシェットで同室になった人にはたまらない臭いだなあ・・・。宿の主人はすっかり汗かいてハアハアいってる。「ごめんネ。もう忙しくて、エッヘッヘ」


アルハンブラとおじいちゃんの思い出
アルハンブラ宮殿・・・1248〜1354年、スペイン最後のイスラム王朝、ナスル朝が築城。アンダルシア地方特有の伝統的ムーア建築の残るアルバイシン地区とともに、世界遺産に登録されている宮殿。外観は地味だが、その内装のみごとなこと。私はイスラム建築の模様が好きで、アンダルシア地方の家屋に残されいるイスラム風模様のタイルなどいっぱい写真に撮って楽しんでました(消失!)が、やはりアルハンブラ宮殿はその大御所なんだな・・・。ハーレムがあったそうで、女たちはその中で案外仲良くやっていたのだろーかと、私には信じられない世界を思いながら歩く。宮殿を歩くうちに、はっきりと感じ取れたのは、イスラムの追われる者、滅ぼされた者の悲しみだけが取り残されているような切ない波動が、そこかしこに漂っているということ。拙「旅くらぶ」をご愛読して下さっている、前日登場の劇作家K氏が、グラナダという町についてドンピシャな表現をされたメールをくださったので、ちょっとご紹介。
「ジプシー達が漂わせる 刹那と退廃の匂い、そして遠い昔に滅んだまま置き去りにされた かつての都、民族のプライドを賭けて散っていった夢の残骸・・・ イスラム特有の重苦しさみたいなものがあって・・・ 哀愁と猥雑のカオスのような感じを受ける」
ふと、おじいちゃんに声をかけられる。まあ待て待て!という感じで持参のアルバムを開き出す。突然のことにびっくりした私は「何か売るのかな!?」と思ったが、近くにいた宮殿の職員がニコニコと「ちょっとつきあってあげてネ」と言っているような笑顔を浮かべていた。おじいちゃんは英単語と日本語の単語をまじえながらアルバムをひもとく。かつて有名なフラメンコ・ギタリストだったおじいちゃんは、若いころ何度も日本に行ったそう。「うえの」と書かれた看板の下で、着物姿ではにかむ若い女性の肩に腕をまわす、若くハンサムなおじいちゃんの楽しそうなこと。日本と日本人が大好きで、「コレ、キムタク」とキムタクのポートレイトや、グラナダに来ていたのか、ジャパニーズ・コギャルが真っ黒な顔してニカッと笑っているプリクラも大事に飾っている。そしておじいちゃんの「マゴ」や「イエ」の写真などひととおり見せてもらい、「グラナダのオマモリ」と言って、親指の爪ほどの小さな舟の折り紙を手渡された。ぶきっちょな舟だけど、なんだかとても温かい感じがして嬉しかった。
老いていくってどんなことかなあ・・・と考えながら歩いた。ハンサムで華やかで、テレビにも出演していた若いころのおじいちゃん。楽しかった日本。思い出の中で生きる、人生のたそがれの時間は、今の私には実感としてわからない。だけど、そう悪いものではないと何となく思った。ぼんやり歩いているうちに、おじいちゃんの舟を落っことしてしまう。一生懸命探しても見つからず、世界遺産の中でわんわん泣き出してしまった。どんなミスよりも、こういうあやまちが一番つらい。

コルドバが呼んでいる?
アルバイシン地区をまわるミニバスに乗っていたら、マラガ行きのバスに乗り損ねた。私は方向音痴でもあるが、時間配分もヘタなのであーる。とほほ。でも、なぜか「マラガではない。コルドバに行かなくちゃ」という気分になっていた。陽光ふりそそぐ海辺の都市ではなく、かつて栄えていた斜陽の古都、コルドバが気になっていた。
折りよくコルドバのバスに乗れた。バスはお日様に向かって走る。丘いちめんのひまわりの群れたちは、バスにそっぽをむいている。オリーブが茂る広く枯れた広野を眺めながら、サラミを挟んだボガディーリョ(サンドイッチ)をかじり、パンくずをポロポロこぼしながらいつしかうとうとしていた。(欧米では飲食禁止のバスがあるらしい。飲食しない方が無難ですネ)
ちょっと疲れているから、コルドバをさくさくっと見物して、夜のAVEでマドリッド・アトーチャに帰って、駅前のメディオディアでゆっくりしよう。と思いきや、メディオディアはおろか、マドリのホテルが全く取れない。『歩き方』に載っているホテルもしらみつぶしにし(困った時は案外怖がらずにデンワできるもんだ!宿が取れない方が心配だもんね)、アメックスのトラベルアシストにお願いしたけどまるでダメ。疲れた。すっごく心細くなった。・・・・コルドバに泊まるか・・・。そう決めて、適当に宿を捜すことに。
とりあえず旧市街のメスキータ(イスラム風教会)あたりに行けばなんとかなるさ。タクシーでしか行く手段がないので(でも安い!)メスキータまで乗りつけ、コロをゴロゴロひっぱって歩き始める。何だかものすごく疲れているなあ。睡眠をしっかり取っていないのもよくないし、それに何せ暑いんだもんアンダルシアは・・・。安そうなホテルはどこもFULLだ。うそぉ・・・どうしよう。だんだん足取りがフラフラしてくる。バイクに乗った男の子が、徐行しながらついてきて、何か声をかけてくる。めんどくさいから顔を見ないで無視する。しかし、ちょっと離れて遠巻きに私を見ながら「だいじょうぶ・・・?」みたいなことを言ってる。それがものすごく心配げな悲しそうな顔だった。急にいたたまれない気持になって泣きそうになったが、バツが悪いので無視した・・・。
何軒か当たって、ようやく「私の知り合いのホテルなら空いてると思うよ!」と教えてもらったホテルに着く。二つ星。ツインしかないけど4000円程度ならいいよね。フロントに18歳くらいの若い男の子がいる。メモを見せ「このホテルからここを紹介されたんですが」と告げると、彼は英語がまったく話せないようで、ち、ちょっとまってね!と奥からお姉さんを連れてきた。お姉さんはカタコトだけど、英語が通じる。チェックインの手続きをしているお姉さんの姿を頬杖つきながら見ていた男の子が尋ねる。
「オンリー・ワン・ナイト・・・って?」お姉さん「一泊だけ泊まるってことよ」
「英語話せるといいよね・・・」「私もあまり話せないけど・・・いろんな国の人と話せるわよ」そう話しているのがわかった。インターナショナルとかイングリッシュがどうとか言っていたし、また、彼らは表情がとても豊かで細かい感情が表情に表れるのだ。この国にお邪魔している私がスペイン語を話せないことの方が申しわけないのに、彼は英語が話せない自分のことを恥ずかしそうに申し訳なさそうにしている。それが何だかとても胸を痛くした。バイクの男の子といい、このホテルの人といい、この街で会った人たちの純朴さや優しさが、私をよけいに寂しくさせた。パリは皆が私を放っておいてくれる。一人でいようが、困っていようが関心ない。それがとても気楽だった。だけどこの街の人たちの優しさは痛いほどしみてきて、ひとりぼっちの気分が強くなる。メスキータの鐘の音がかーんと響く。ずいぶん遠い所まで来てしまったなあと、また泣きたくなった。


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